私は幸運な泥?【「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義】まとめ

死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義

読書メーターのタイムラインに流れてきた 一冊を読了。
「死」「イエール大学」「23年連続」・・・パワーワードのお祭り。
思わず手に取りたくなる。上手い。

コピーライティングの本も同時進行で読んでいるので穿った見方をしつつも、図書館で予約してまんまと手に取ってしまった。

手元に届くまで数週間待ち、後にも予約が入った。
書店の比較的目につく一角にも重ねてあり、周囲と比べても減っているようだったので今ヒットしている1冊と言って間違いなさそう。

中身は普段多くの人が死についてボンヤリ思っているであろうことをまとめてくれている。すごく目新しい新事実があるわけでは無い。そりゃそうだ。誰も死んだことがある人なんていないのだから。

  • 死んだ後の世界なんてない。全ては無になる。
  • 本質的に言えば死は悪ではない。
  • だが、多くの人が人が死を悪と感じてしまうのは、手に入るかもしれない良い経験を手に剥奪されると感じるから(剥奪説)
  • 前向きに価値ある人生を目指して生きた方が総合的に幸せ(直接的に断言はしていないが、全編にわたってその考えが根底に流れていると感じた。)
  • 自殺は基本ダメ


こう言ったことを説明していくために思考実験的な事例をあげ、対比させて、比喩を重ねてこねくり回す。
感想としては・・・ん〜話長いよ!笑

でも得られたものが無いわけではなくて、ところどころ「おっ!」と思う部分もあった。

存在可能性がある人類の数は1世代で・・・

 女性35億人 ×卵子1年あたり12個 × 30年 × 男性35億人 × 精子1日あたり4千万個 × 365日 × 50年 = およそ3×10の33乗

   3世代で宇宙の全ての粒子の数を上回るほどの天文学的数値らしい。
 それだけの人類が生まれることなく消えていっている。という思考実験である。計算式が本当に妥当なのかは微妙だが、そんな計算をやってみようと思う人が世界にいるということがすごく面白い。なんか生きててよかったと思う。

カート・ヴォネガット 猫のゆりかご 

著者は講義で カート・ヴォネガット 猫のゆりかご からの一節を紹介しているという


 神は泥を作った  神は寂しくなった

 だから神は泥の一部に、「起き上がれ」と命じた
 (中略)
 そして私は、起き上がってあたりを見渡した泥の一部だった。  

 幸運な私、幸運な泥
 いいぞ!神様
 (中略)
 今や泥は再び横たわり、眠りにつく。
 泥にしてみれば、何と素晴らしい思い出を得たことか!
 他の種類の、何と面白い、起き上がった泥に私は出会ったことか!
 私は目にしたもののいっさいを大いに楽しんだ。

カート・ヴォネガット 猫のゆりかご

この一節と出会えただけでこの冗長で、小難しい哲学入門書を手に取って時間を割いた意味があった。
読書も人生も本当に一期一会。

「泥のように眠りたい」といってる君!君そもそも泥らしいよ!笑

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